社長ブログ

2023/04/19

新しいVIに込めた想い

新しいVIに込めた想い

今年の4月1日、当社は35周年を迎えた。35年前に丸紅株式会社が100%出資して設立された後、2006年に丸紅からのMBO実施を経て今年を迎えるわけだが、世に言われる企業生存率などの話しは横に置いたとして、35年に亘って会社が継続してきたことは喜ばしいし何より誇らしい。またこうして35周年を迎えられたのは多くの先達の高い意識や奮闘無しには語ることはできず、ここに敬意と感謝を表することを忘れてはならないと思う。ありがとうございました。さらに長寿でかつ、いつまでも若々しいマインドの会社として発展させ続けていくことが、それに対するご恩返しだと改めて感じる。

周年を機に当社のブランド・フィロソフィを明文化し、当社にとって初めてのコーポレート・スローガンを制定するとともに、VI(visual identity)も刷新した。いわば、当社のブランディングだ。これまでのアセットは大事にしつつ、新しい「りえぞん」を目指すという、どちらかと言えば未来志向な意思を表現できたと思っている。
(参照)VIの刷新について

周年を機に、というのは実は今回ブランディングをする際の2つの理由の1つであり、もう1つの理由は社内に向けて、でもあるのだ。私たちの仕事は今や平面から立体からデジタルまでと広範に及び、そのいずれもがクライアントのブランディングに関与している点、そのエンジンを担っている点は共通していると言えるが、広範ゆえに社内の共通言語としての自らのアイデンティティを明確にする必要があった。しかしながら、そうかな?と感じつつも、いずれ、という言い訳で後回しにしてきたのが実態だ。MBOをしたころから見ても会社の規模感は4~5倍へと成長し、仕事の幅や社員のスキルなども当時とは比べ物にならないくらいのレベルにはあるのだが、さらに未来に向けてワンランク上の企業を目指そうという意図もあり、いよいよ自社のブランディングと相成ったわけである。

ブランディングおよびアイデンティティの確立は従業員参加型のボトムアップと、主として経営層が決めていくトップダウンの2つに大別されるが、今回はそのどちらでもなく、ハイブリッド(半分社内半分社外の方々)なスタイルでのぞんだ。社外取締役を中心としてクリエイティブチームを組んでもらい、取締役という内なる理解に加え、「外から見た当社の姿」(より客観的な視座の意)という視点を取り入れたいと思ったためである。

なぜならそれは、自らの意思や想いは語りつつ、そこに重心を置き過ぎると成果物が変わり映えせず、クリエイティブジャンプに限界もあるだろうことが想定でき、あえてハイブリッドな方々の見方によって「これまでと違う」アウトプットができると思ったためである。

クライアントのビジョン、スローガン、新VIといったブランド・エレメントを作っていく過程をサポートしてきたが、自分たちのブランドがカタチになっていくのは、こういう気持ちになるのだと初めて知った。それは、照れくささと同時に、純粋に嬉しく誇らしい気持ちだ。言うまでもなく、ブランディングとはブランドの「ing」。エレメントを揃えてお終いではなく、ここからがスタートで、常にingでなければブランドはブランド足り得ず、それが織りなす世界観も醸成できない。まずは自分が率先して、照れずに斜に構えることなく、ブランドを体現しなければと思う。クライアントのブランディングを担う者として、従業員1人1人も共に自らのブランド体現者になってくれれば喜ばしい限りだ。

2023/03/21

本格化するDXに寄せて

本格化するDXに寄せて

DXという言葉が世間に普及し始めて約3年。私たちは、この言葉をどこまで理解しているのだろうと思うことがあります。猫も杓子も、あらゆるセールストークも、TVのCMも、果ては地方創成もDX。さらにはGX、CX、SX、EXなど、この3年で多くの「〇X」が登場したわけですが、皆さんはどうですか?このうちいくつご存知でしょうか?私は大半が???が並ぶだけですので、答え合わせは「今さら聞けないシリーズ」に任せることにしましょう。

さて、話しをDXに戻しますDXという一言だけでも様々な定義や解釈があると思うのですが、その言葉の出現とともに一般的に普及したDXは、システムやインフラを指すそれではないでしょうか。それとは「人事DXの決定版」「経理のDXに乗り遅れるな」のようなものを指しますが、働き方が変わるのを機に産まれた多くのサービスなどが一番分かりやすい事例です。雨後の筍がごとく次々と現れる「DX」を冠したサービスや商品にやや食傷気味になりながら、果たしてDXって?と考えさせられることもあり、つまりはサービスやインフラを先行して導入したところで、本当に世のデジタル化は進むのか?と疑問に思ったものでした。もっとも、何を以てデジタル化が進んだかは人や企業それぞれなので、そこは大きなお世話なのですが、カタチから入る典型例のように見えたのも確かでした。

しかしそのDXも3年経つと、少々風向きというのか景色も変わってきたように感じる事象に触れることも増えてきました。それは、思考や発想のデジタル化というものです。2-3年前にカタチから入った感の強いDXも、それを使っている方たちから「xxxをベースにこんなことできないか?」とか「xxxはこんなことができるからやってみた」といったデジタル化を進める一歩を踏み出す「能動的なアクション」に変わってきたということです。使っているうちに自分たちで気付くことがあったり、やってみたら自分でできたり、と使う側の人間が「X」しつつあるということなのですが、使う側がデジタル的な発想や思考で、デジタルのインフラを使いこなすようになることがDXの本質だとすると、カタチから入ったDXもいよいよ本番に入ったのかも知れないと思うわけです。

しかしこれは我々のようなサービス提供側にすれば実は厄介な話しで、使う側の人間がデジタル化するというのは、情報が民主化することだけでなく、発想や技術さえも私たち企画する側、制作する側とを横並びにさせかねないことでもあります。場合によってはDXの進んだクライアント側からの問い掛けや一言にハッとさせられたりもして、私たちにとってもDXは他人事ではなく、安穏としていられない時代の大きな流れであると思わされます。半歩先を行き、クライアントをリードしていく立場として、私たちもDXの本質を見誤らず日々研鑽していこうと思う次第です。

2023/02/13

新しい時代!?

新しい時代!?

昨年、当社で某団体会員様向けのクローズドなクルマ雑誌を発刊したのですが、それをきっかけに、クルマ関係に連なる方々(メーカー、販売会社、ジャーナリストなど)と知己を得、この歳にして新しい仕事ができたこと、仕事を通じて多くの学びがあったことはとても喜ばしいことでした。皆さまに感謝です。

そんな関係もあり、2月上旬に初めてJAIA(日本自動車輸入組合)が主催する試乗会に行ってきました。もちろん、懇意にしているジャーナリストに誘われて、ですが。

文字通りクルマは全て輸入車。例年この時期に3日間に亘って開催され、各社の一押しクルマが60台以上一斉に集まる、今年で42回を数える歴史あるイベントです。場所は大磯プリンスホテル。ここを起点に試乗時間は80分。箱根ターンパイクへの乗り入れが禁止されているほかは、ルートに決まりがあるわけでもなく、撮影に徹するもよし、とことん走るもよしで、何と言うのか自動車業界の懐の深さや自動車ファミリーの連帯感と信頼感のようなものが見え、コミュニケーションが希薄になりがちなこの時代に、久しぶりに心が暖かくなりました。さすが、成熟産業ですね。

大磯プリンスホテル駐車場

 

あれ?あの人は〇〇さんじゃない?この方は有名なユーチューバーだな?などと多くのモータージャーナリストと呼ばれる方々を横目に、その日は朝から夕方まで5台の試乗をしました。何よりも印象的なのは60台以上ある試乗車の大半がEVもしくはそれに類するクルマだということ。まあ当たり前と言えば当たり前ですが、実際に業界向けイベントにおいて、いやむしろプロ向けであればなおさら、新しいクルマの試乗イコールEVという図式が確立されつつあることを目の当たりにし、自分自身も考え直すきっかけになったのが正直なところです。もはや個人の残念な気持ちだとか内燃機関ノスタルジーなどはお構いなしに、世界は本当にそっちに、新しい時代に向けてひたすら突き進んでいるわけですが、特に欧州のクルマはそれが顕著で、その割り切り度合いは時代をリセットする潔ささえ感じ、あっぱれです。

そんな私たちも時代の流れに乗って2台のEVを試乗しました。ボルボとフィアット500のEVの2台で、ジャーナリストはフィアットに、私はボルボに感銘を受けました。クルマのインプレションなどはプロに任せるとして、私が感銘を受けたのは「EVにも個性がある」ということと、「技術の革新は凄まじいスピード」で進んでいるという点でしょうか。

短時間で複数台乗り比べることで分かることがあるのも確かで、「パワー一辺倒のEV」というステレオタイプな見方は、もはや最新のEVには当てはまらないということを知れたのは、大きな収穫でした。

個人的にはクルマについては超が付くコンサバで、ガソリン臭くて3ペダルが一番なのですが、用途による使い分けや、新しいプロダクトから学ぶ最新技術、これらを上手く取り入れないと気付けば使い方さえ覚束ない、取り残されてしまう人になるなと思った次第です。全てをリセットする必要も、捨て去る必要もないですが、食わず嫌いや過度な頑なさは邪魔であることは仕事にも通じることで、いろいろと思いを新たにさせられた1日でした。貴重な気付きをいただき、皆さまに感謝の一日でした。

VOLVO XC40 RECHARGE

FIAT 500e

2023/01/12

2022年の振り返りと2023年の展望

2022年の振り返りと2023年の展望

みなさま新年あけましておめでとうございます。

旧年中は関係する皆様には格別なお引き立てをいただき、厚く御礼申し上げます。本年も皆様のお役に立てるよう尽力して参りますので、引き続きよろしくお願い致します。

2023年の最初のブログは、やはり2022年の1年間の振り返りと今年の展望という新年らしく、かつ自らの備忘録を兼ねて書こうと思います。

当然ながらできたこと、できなかったことがありました。去年の一番の変化は何よりも、社長という立場に変わったことが一番の変化でした。しかしながらいつかのブログに書いた通り、やることが大きく変わったかというとそうでもなく、もちろん社長としてやるべきことは増えたものの、既知の経験則という意味も含めて大変化というレベルではなかったような気がします。

そんな中でも社長として為すべき仕事の1つである、結果を残し会社を安定させるという点においては、達成できたと自己評価しています。当然ですが、これは従業員一人一人の躍動あってのことで、これは従業員みんなに感謝しています。もうひとつ、社内に対して仕事をする上でのマインドセットとして発信した「あえて難しい方の選択」をして仕事をするという点においては、自分ではどうだったか振り返ってみました。

自らに課した大きく2つについての1つは及第点。もうひとつは、もっとやれる余地があったかなと感じています。

前者については、新しい価値を創るということ、すなわち当社にとって初めての、自分たちによる、自分たちのメディアを創るということ。これは2年越しながら多くの人の協力を得ながら達成でき、感慨深く新しい発見ができた仕事でした。今後、さらに価値を付加させ育てて欲しいと願っています。

後者については、億劫がらずに人に会うということ、これについてはもっとできたはず、が正直なところです。営業電話の相手でも、自ら能動的に会いにいくケースでも、内容と回数においてはまだまだできたはずで、平時に自らを奮い立たせる術を身に付けなければと、改めて痛感しました。

これらを踏まえて今年、新たにどんな心持ちで2023年にのぞむかということですが、「あえて難しい方の選択」は、引き続き自分に対するマインドセットでもあるので継続したいと思います。具体的には、デジタルリテラシーという課題です。だいぶ漠然としているのは承知ですが、少なくともweb3.0時代の新しい技術やサービスの概念くらいは、どこかでキャッチアップしておかなければという思いです。

こうした技術を駆使している分野はまだ限定的だろうし、実験的な意味合いもまだ強いかも知れませんが、現代の技術革新と拡張スピードはデジタル時代ゆえに加速度的で、彼我のことと思っているとあっという間に身近で、それ無く成立しない社会がくるはずです。自分たちの仕事に対する影響も、きっと近い将来に影響を及ぼす決して他人事ではないと思いますので、今のうちに何とかしておきたいところです。

もう1つは、事業の継続性の担保。これは社長の仕事の最大かつ最優先の仕事で、こうした場で具体的に書けることは少ないのですが、前述したような将来を見据えること、そしてそれに必要なアクションなどを指しています。そこで求められる大事なことは時代の空気感を読むことや自社に対する冷静な客観性。そのためには極力現場の近くにいること、そして去年の積み残しでもある、億劫がらずに人に会うということを心に留めておきたいと思います。

多くの方々が今年は2022年よりも難しく、ネガティブな時代を予想していて、確かにその通りでVUCAな時代だと思います。そんな不確実で見通しの効きにくい時代にあるのかも知れませんが、私たちはどんな状況にあっても、企業や企業活動を営む人の想いを繋ぎ、カタチにすることで企業成長のエンジンを担うものでありたいと思います。こうした仕事に誇りを持ち、従業員一同楽しく新しいことに挑戦して参る所存ですので、今年も一年どうぞよろしくお願い申し上げます。

2022/12/06

価値のある失敗!

価値のある失敗!

仕事をしていれば誰もが経験するのが失敗やミス。失敗と一言で表しても、種類もレベルも様々ありますが、失敗によって得られる教訓は数知れず、この数だけ自分を成長させてくれると言っても過言ではありません。
そして、失敗を許容し、何度も挑戦できるフィールドや会社、その会社が醸し出す社風は、それ以上に大事だと思います。

なぜなら、こうしたモノコトが無い限り、失敗も起きないからです。

正確には、失敗したという事実が表面化せず裏に隠され、それによって失敗をした本人そして組織にとって教訓にならないからです。組織の大小に関わらず、失敗できる機会は無くしてはなりません。

冒頭で失敗には多くの種類やレベルがあると言いましたが、してよい失敗(あえてして欲しい失敗、とも言い換え可)と、避けなければならない失敗、というのがあると思います。

先に後者のことを言えば、クライアントの社名や担当者名を間違えるや、ウソや隠し事に起因するコミュニケーションロスといったこと。そして売上・仕入・請求といった営業的な数字のミス、公序良俗に反することなどがこれに当たると思いますが、これらは社会の一員としての基本的な素養があれば避けられる失敗で、できればここで躓かないで欲しいと思う類と言えます。

そして前者について。これは、未経験の仕事への取り組みや新しいチャレンジに伴う失敗を指しますが、「あえてして欲しい失敗」はこれに尽きると思うのです。

no pain, no gainというのか、やらない後悔よりやって後悔(これはちょっと違うか・・)というのか、自らの意思で一歩を踏み出した結果の失敗や、自分にとって容易ではない選択をして格闘した結果の失敗などは、本当に意味があると思うのです。アインシュタインも「今までに失敗を経験したことない人がいるとすれば、それは新しいことに挑戦したことのない人だ」と逆説的に説いていますが、挑戦や自らと格闘した結果の失敗には価値があるということです。

しかしこれがなかなか言うは易しで・・・。人は、自らを容易な方や慣れている方に走らせる習性(ある意味安定志向と言うのか・・・?)があり、意識をしなければ新しいと挑戦をするのが困難だということ。

さらには、不寛容な社会と言われる通り、失敗が許されず再起が難しい日本の企業文化によるものなど、新しいことへの第一歩を躊躇しがちな空気感というのがあるという背景。そしてもう1つ、失敗をした本人の上長にあたる人の対応、反応という方が正しいかも知れませんが、これも大きなハードルだと言えるのではないでしょうか。

上長は、「本人以外で最初に失敗の事実を知らされる人物」、ですがその最初の反応によって活きる失敗と活きない失敗に大別されると言っても過言じゃないかなと思います。上長としてまずはすぐに失敗に対処する、失敗した事実を隠蔽しないのを前提とすれば、ここでのポイントは失敗の本質は何だったのか?を探ること。それは何によって引き起こされたのか?を理解することが肝要で、感情的に責めたり犯人捜しをするようだと、この失敗した本人は以後、失敗したくないシンドロームに陥り“失敗をしなくなって”しまうでしょう。

不遜な言い方をすると、日本全体を覆う閉塞感やよく言われる「失われたxx年」などは、全てここに通じるものがあるのでは?と感じます。
失敗する、イコール責められる・怒られる・犯人にされる・背負わされる、といった連鎖があれば失敗を隠したくなるのも、また人ですよね。

チャレンジによる失敗に鷹揚で、再起可能なアメリカや中国は、功罪あれども当然ながらイノベーションが続出し、企業や社会のダイナミズムが産まれやすく、結果として国力にもつながっているのはここで言うまでもないことです。

そんなレベルではなく私たちができることは限られていますが、一民間企業の経営者としては、自分にとって難しく新しい挑戦を従業員に促し、その結果の失敗を許容し、失敗の教訓から新しいモノコトを産み出せる、そんな社風でありたいという想いを忘れずに、会社の運営を心掛けたいものです。

2022/11/01

とある週末のこと

とある週末のこと

今回は、とある週末にそれはそれはなかなか得難い経験をしてきましたので、この場を借りて少しご紹介できればと思います。

 

伏線は半年近く前のこと。クライアント某社の社長との久しぶりの会食の場で、寄る年波の病気自慢やら趣味やらを話している際に、社長の口からポロっと出てきた「パワーボート」の一言。これが今回の主役、パワーボートです。

「いやいや全然小さなモンだから」と本人談、ではあるものの、なんとパワーボートを持っているとのこと。パワーボートですよ!何度も言うけどパワーボートって、そうです、あれです。マイアミバイスで出てくる、大海原をすごいスピードで突っ走るアレです。クルマとバイクはもちろんのこと、エンジンの付いたモンや速いモンが大好物な私、大興奮でその場でこのネタにガッツリと食いついてしまい、別れ際にも「機会あればぜひ!」とまでお願いする始末で、今思えば「これは、誘わないとヤバい・・」と思われたのかも知れませんが、その熱が奏功し?本当にお誘いいただいたというのが今回の得難い経験です。前置き長くなりましたが、そんな伏線があっての、とある週末だったわけです。

 

世の中ヨットやクルーザーに乗った経験をお持ちの向きは多くおられると思いますが、パワーボートに乗った話しはさすがに回りでも聞いたことがありません。しかも日本国内で。雨予報が続く中、当日は晴天で暖かく、海遊びにはサイコーの天気。しまなみ海道を通り因島に渡り、早速ご対面!どうでしょう、このスタイル。もう見るからに速いデザインですよね。古い例えが、マッハGoGoGo。

パワーボートはレースも行われていて、ハイエンドな機種であれば時速200kmオーバーも数多く、それこそ「海のF1」とも呼ばれるほどで、速く走る機能が宿るデザインは見ているだけで時間を忘れてしまいます。エンジンは、これも今は昔、もはや製造されていないヤマハ謹製2ストロークエンジンの2基掛け。はい、仰る通り、この脱炭素時代に2ストなんてけしからん!という声が痛いほど聞こえて来そうですが、クルマ同様最後の内燃機関を愉しむということでご容赦いただき、その特性である軽く、ビンビン回る高回転型エンジンと独特のオイルの焼けるニオイにもうクラクラ。そしてコクピット。これも泣ける。小径ステアリングに2基分のレヴカウンター、燃料計、油量計、油圧計、これら全てはアナログメーター。そしてフロント2席のフルバケットシートにとどめを刺され、今風に言えば、萌え死ぬ!といったところで、走る前からオヤジ気絶でした。

ところで、そんな好きモノをくすぐるガジェットに事欠かないパワーボートですが、乗った感じや、乗るとどんなモノなのか?はきっと名状しがたいというのが本当のところかも知れません。少々大袈裟とも取れますが、海の乗り物がクルマほど一般的ではない前提で言えば、「ヨットと比べて・・・」「クルーザーと比べて・・・」と書いたとしても、私自身がそんな経験が無いのに加え、どんな言葉を重ねても伝わらないと思いますが、時速140kmくらいで海の上を走るという感覚は、自分が知っている海の乗り物の数少ない引き出しから取り出せるコトバは無く、バイクやラリーカー(これも乗ったことは無いけど・・)のようなモノに近いと言え、乗るとどんな感じ?とは違う意味で「自分は生きている!」と生々しく生を実感できる機会だったということです。

あまねく広く誰もができる遊びではないし、多くの環境が許さなければ実現できない趣味ですが、頭の中を空っぽにしてただ本能の赴くままスピードに身を委ねるのは自分にとってはたまらなく快感で、いつかマイボートを!なんて夢が膨らんだとある週末の経験でした。

2022/10/04

仕事における想像力の必要性

仕事における想像力の必要性

私たちの仕事は、数の多寡はさて置き、人と関わってモノゴトを進め、決め、創って、諮ってを繰り返し、何らかの成果物を生み出すことです。自分以外の他者が1人の場合もあれば、10人が関わる場合もあり、いずれにしても1人で仕事が完結するような仕事ではありません。

この過程では当然多くのコミュニケーションが交わされます。リアル&リモート面談、電話、メール、チャット系ツールなど現代の数多くの手段を通じてやり取りが成され、そのトランザクション数と言ったら数十人クラスの組織であっても相当な数字に上るだろうと想像します。

ではコミュニケーションの数が増えれば、コミュニケーションの質、それに伴う仕事の質や生産性の向上といったことにつながるかと言えば、必ずしもそうではないでしょう。コミュニケーションの数量は横に置いたとして、質や生産性などを上げるためには何が必要なのか?また仕事を獲得してカタチにするための確度と実効性を上げるためには、どんなことが求められるのだろうか?私が社内で話しをするのが、タイトルにもある「想像力」です。

私たちの仕事であれば、創造力と言いたいところですが、ここで必要な素養はクリエイティビティではなくイマジネーションなのです。

面談での会話の内容も、メールの文章も、聞いた通りの書いてある通りの額面通りに受け止めるのは、当然しなければならないことでしょう。ただ、人の言動や表情といった表面に見て取れるものは、必ずしも情報や思惑の全てを表しているとは限りません。これは、相手が意図して表現しないこともあれば、ただ単純にその時に表現し忘れていることもあり、見て取れる情報だけが全てではないということは、何となく想像できると思います。こうした前提があれば、普段のコミュニケーションにおいて相手の表現を額面通りに受け止めるだけでは、実は不十分だということが分かります。

つまり、面談での発言、メールの一文を拾い上げ、これはどういうことなのか?なぜこう書いているのか?と感じることが第一歩、そして次に、「きっとこういうことだろう?」「もしかしてこれを言いたいの?」という仮説を持ちながら会話やメールを自ら広げていくことで、相手の持っている情報や想いといったものを聞き出すことができるのです。これは、職種によらず、営業でもデザイナーやライターやフォトグラファーといったクリエイティブでも、想像力を大いに駆使して仮説を立てながら仕事を進められるか否かで、仕事を獲得する実効性も、カタチにしていく過程の生産性や仕上がりのレベルは変わってきます。

逆の立場にあれば分かると思いますが、例えば「もっと聞いてくれたら話してあげるのに」と少し勿体ぶったケースも、「そう言われるとそうかもね」と投げられた質問に回答することで自分の考えがまとまったりすることは、誰しも経験したことがあると思います。情報を出す側も、実は相手に聞かれることで気付かされることも多くあり、その結果、良いモノを生み出せたりもします。立ち位置を置き変えて「想像」してみるとコミュニケーションの見直しに役立つかも知れません。

1つの情報を得るだけで立ち止まらずに、なぜ?この発言の理由は?このリクエストの背景は?と少し疑問を抱き、さらに聞き出し、想像し、仮説を立てる。こんなフローを身に着けると、平面的なメールの文字や、手に取ることのできない口頭での発言も、より立体的で奥行きのあるコミュニケーションとなるでしょう。

と同時に、何だかいつも穿った見方してるよなあ、斜に構えてるよなあ、と自分でも思わなくもなく、気疲れすることもあるのですが・・・。

営業の仕事とは

営業の仕事とは

唐突ではありますが、私は学校を卒業してから30年あまり、営業という職種で社会人人生を送っています。現在は当社の代表という肩書で経営という職種?もとい立場にはあるのですが、それが間接的であれ直接的であれ新しいクライアントや仕事を創っていくという仕事に携わっている意味においては、やはり今も「営業」という職種であろうと言えるのです。

さて、タイトルにもある通り、そもそも営業の仕事とはどういったものなのだろう?

長きに亘ってその職種にあり、自分の組織(部下)を持つと改めて考えさせられるものです。

イソップ寓話がごとく、アリとキリギリスに例えられることもあるし、「世界一の営業パーソン」や「営業はxxがxx割」といった類の多くの書籍や雑誌がある通り、フィーチャーしやすいと同時に答えの無い仕事なのだろうと思うのです。答えというよりも、正解といったほうが正しいかも知れないのですが、ご存知の通り営業にはこれ!という万能な特効薬も無ければ、やり方も人の数だけある十人十色な仕事なのです。売り物や売る人が変わることによっても売り方が変わるし、前職では大いに結果を出せていた営業パーソンも、転職先ではなかなか結果が出ないといったパターンもあり、ホント、何が正解なのやら。

 

当社の従業員を見ていても、営業スタイルは人それぞれ。個性が出るとでも言うのでしょうが、どれも正解だけど、万能な正解も無い。営業の厳しいところは言うまでもなく、結果が数字として表れるという点です。

それが醍醐味だと言えますし、結果はもちろん大事ですが、結果だけを評価するあまりに、手段が不問になるのであれば、過程や内容はともかく数字を上げることだけが正義となり目的化してしまうので、コーチングの塩梅が難しいところでもあります。

当社が社会に存在する意義や目的が、「カネを稼ぐこと」だけでないのは当然で、どんな企業も数字を上げることだけが目的となったら組織は簡単に瓦解するでしょう。こうしたことを踏まえ、当社では営業に対するマインドセットとして「プロセスを大事にして欲しい」そして「為すべきを為してください」と伝えています。逆説的には、やることを然るべきタイミングでやらなければ求める結果は出ない、という極めてシンプルな行動指針を掲げ、ものごとの道理とも言えるこのシンプルさがゆえに全員に伝わるであろうと考えるのですが、これまたなかなか・・・。

さて話しを少し戻して、私にとって営業とはどんなものなのか?ということですが、一言、一番難しい仕事であると事あるごとに言っています。とりわけ当社のような広告会社、無形商材の受注産業の営業というのは一筋縄ではいかず、自分たちの意思や社会の要請とは関係なく、クライアントが「ない袖は振れぬ」と言えば、基本的には終わってしまいます。

また、安いから売れるわけでも、毎日クライアント訪問をしていれば買ってくれるわけもない。でもその側面も否定できない、とまあ二律背反矛盾だらけの脳内ノリツッコミの連続で、なかなか簡単ではありません。自分は営業が得意だ、営業しかできない、といった向きもありますが、私から見れば羨ましく、その自信はどこから来るのか教えて欲しいくらい。そう、私は難しい仕事だと思っているし、自己評価としても得意ではない、というのが私にとっての「営業」という仕事です。

しかしながら、大変であるのと同時に楽しいと思えることもたくさんあるのです。仕事を通じて得られる知己や、多くの企業や業種に接することができることはもちろんのこと、何より営業こそが一番クリエイティブであるということです。極端なことを言えば、我々無形商材を扱う営業は、自分がこんな仕事をしてみたいという想いをクライアントに提案し、それをカタチにし、仕事にしていくことができるのです。クライアントが何を求め、どんなことに困っているのか、をクライアントの一番近くで見聞きできるからこそ、「次はどうしよう」「こんなことをやってみては?」という発想や起点を創り出すことによって、結果仕事を創出することになるのです。これが、一定の形ある商材であれば、それを変形して売ることも、半分にして売ることもできないのですが、我々はその可能性は実に広範かつ多様で、クライアントの課題や自分の想いを掛け合わせて適切な提案をしていける、その起点は全て「営業」という職種から生み出されるのです。

こうしたゼロをイチにするという意味において、営業こそが一番クリエイティブであるべきだとすれば、結果ばかりで評価されがちで、正解さえ無い難しい仕事も、楽しみや醍醐味に溢れていると感じるわけです。こうして仕事を創り、クリエイターたちがそこでそれぞれの力を発揮してカタチを創っていく。こんな仕事のスタイルが自分は好きだし楽しいので、振り返ってみると30年にも亘って営業という職種を続けてこられたのではと思います。

大変だし、結果をもたらすのはもっと大変。でも、営業こそクリエイティブであると、少し視点を変えてみると、明日の営業活動も景色が変わるかも知れませんね。

心の洗濯、でもないけど

心の洗濯、でもないけど

行こう行こうと思っていてなかなか実現できずにいましたが、ようやくということで、行ってきました!川村美術館。

 

結論、素晴らしい!

 

もっと早く行けばよかったと思うほどで、久しぶりに右脳がウルウルの1日でした。話しが前後するようですが、ご存知の通りここはDIC株式会社が収集、運営をする、正式名称もDIC川村美術館と称する企業が母体の民間美術館です。

https://kawamura-museum.dic.co.jp/

自身は絵画の鑑賞方法も、作品の見方も知っているわけではないのですが、そんな向きでもまずはこの環境に感銘を受けるはず。いい意味で周囲とは一線を画すように計画的に整備された(であろう)庭園、里山、ビオトープなどを含んだ敷地に一旦入ると、人の営みやインフラといった日常的な風景や建造物が目に入ってくることはありません。伊勢神宮にしても足立美術館にしても、一旦敷地内に足を踏み入れると、そこから日常を想起させるものが目に入らないようデザインされているけど、思想は同様だと感じさせます。

本丸の美術館の建築も素晴らしく、外観デザインや外壁の色や素材は、敷地全体のランドスケープデザインを損なわないものであるのは言うまでもなく、館内の随所に取られた大窓からのぞく庭は、まさに借景。もとい、最初から借景にすべく大窓を設けたであろうし、庭の側にしてもやはり最初から借景にするべく造成された意図がひしひしと伝わり、何と言うのか建築家の息遣いや眼差しといった温もりさえ感じるほどです。

そして、敷地内の里山がまたスゴい。行ったその日は最高気温が35度を超える猛暑日でしたが、散策がてら里山に入った途端、体感でマイナス5度くらいかな、吹き抜ける風とともにグっと涼しくなり、汗も引くほど。まあこれは里山の効能の1つで、この里山のチカラではあるのだけど、この里山はその周辺に点在するビオトープを含め、美術館に入館しなければ「市民の公園」として無料で入ることができ、誰もが身近に自然を感じられるようになっていることがスゴいことで、これを一民間企業がやっているということに頭の下がる思いです。

 

肝心の美術館も少しだけ。常設展での誰もが知る「あの絵」、「あの作家」が点在しているのですが、何と言ってもロスコ・ルームでしょう、ここのハイライトは。

我が愛読作家である高村薫先生の「太陽を曳く馬」の装丁にも使われたマーク・ロスコの本物は、圧倒的迫力をもって迫ってきます。深いこと、難しいこと考えず、ただロスコ・ルームに入ればいいのです。誰もが本物だけが放つ神々しいオーラに魅せられること、請け合います。何十年も前にMOMAで初めて見たロスコ以来の感動で、しばし時間を忘れて部屋の居心地の良さと相俟ってロスコ・ルームに佇んでしまいました。もちろん、これ以外にも常設展、企画展ともに盛りだくさんなので、純粋に美術館として入場しても満足度は十分高く、お腹いっぱいになるはずです。

 

語るべきことはこれ以外にも多々あるでしょうし、コレクションを深掘りすればキリがありませんが、感心するのは、というよりも考えさせられたのは、この施設の在り様ということでしょうか。

設立したその時に意図していたかは不明ですが、名称こそ美術館と称しているものの、ここは企業の一市民としての在り様というのか、社会の公器としての企業や市民としての企業(法人)が「調和」と「責任」という文脈で見事に表現された施設だと思うのです。美術館のwebサイトでは“作品、建築、自然の三要素が調和された”と書かれていますが、それ以上の大きな枠組みとしての、環境との調和、社会との調和、未来との調和を感じることができ、SDG’sやCSRといった言葉さえなかった設立時にすでに、多様な価値観を社会と共に調和させた企業の在り様を実現し、それを継続することが企業の責任であると体現しているようです。

不遜かつ月並みな言い方ですが、賞賛に値する企業活動だと感じました。と同時に、果たしてどれくらい稼げばこんなことできるんだろう?とレベルの低い勘繰りも頭をよぎるなど、いろんなことを考えさせられた暑い暑い夏の午後でした。

 

敷地内の飲食店が原則予約制なのと、周辺に食べる所が無いのが玉に瑕ですが、場所も成田空港の少し手前と、週末のショートトリップにちょうど良い距離感で、おススメです。

2022/08/10

広告会社ですがスペースデザインは得意分野です!!

広告会社ですがスペースデザインは得意分野です!!

当社の業務領域は、かなりの広範囲を網羅しています。中でも「スペースデザイン」と称して展開している内装の企画、設計、施工事業については、「こんなこともやるの?」や「どうしてやってるの?」といった声をいただくことが多々あります。

たしかに、広告会社(またはそれに類する会社)がなぜ内装の設計や施工を?という疑問はその通りなのですが、私たちとしては違和感なく守備範囲の1つとして受託しています。

なぜ自分たちにとって違和感が薄いかということは、なぜ広告会社である当社がそれを請け負っているか、の理由にも関係するので、今回は「スペースデザイン」について少しお話ししようと思います。

私たちの主業でもある企業のインターナルブランディングやブランドコミュニケーション、そしてその先にある成果としてのブランド構築は、1つの側面を1つのツールで1つの表現で、といった単一的かつ散発的なアプローチによって完成されるわけではなく、複数の手段で適切なコンテンツを様々組み合わせて継続的に投下することが肝要であると思っています。

例えば、ある商品やサービスを特定のターゲットにリーチさせようとする場合、単純にテレビでCMを出稿するだけでは効果は限定的で、認知から購買という結果につなげるためには、雑誌やニュースで取り上げてもらうようなパブリシティ獲得、webコンテンツによる理解促進、モニターを募集して体験してもらうUXなど、複合的なコミュニケーションを遂行する必要があるのは言うまでもありません。

いわゆる昔から言われている、メディアミックスという言葉を聞くと分かると思います。

細かい点は別として企業ブランドの構築も、基本的には同じメカニズムで作用します。
前段の例を見ると少しイメージしやすくなったと思いますが、スペースデザインという内装や立体造形物もブランド構築をする上で欠かせない手段やコンテンツ、つまりミックスすべきメディアの1つであるのです。

展示会もしかり、その商品やサービスを販売する店舗も、体験できるショールームも、B2B企業であれば来客をお迎えするオフィスやエントランスなど、例を挙げると、立体的なコンテンツ(造形物)によってブランド醸成が成されることがあると理解できるはずです。

皆さんもクライアントや仕入先のオフィスに出向くことがあると思いますが、そんな時に、エントランスのデザインが特徴的であったり、それまで何となく抱いていた企業のトーン&マナーがオフィスに落とし込まれていたりすると、なるほどと腑に落ちたり、見事だなあと感心したりすることもあるはずです。

まさにこれが「ブランド体験」と言えるわけですが、この身をもって感じる「体験」は、紙やwebや映像といった平面的な手法やコンテンツよりも、立体造形物という物質を伴うがゆえにより直接的な実感や好意醸成を促進するとも考えられ、当社がスペースデザインをブランド構築とシームレスな1つ線でつなげて捉えている理由も、こうしたところにあるのです。

こうしたニーズは当然ながらクライアント側にも強くあり、特に働き方が変わったことによる新しいオフィスへのリノベーション、リモートワークなどで低下しつつある従業員のエンゲージメントやコミュニケーションを活性化させるために社員食堂を考え直したりといった動きは、ここ数年多くの企業で見られています。

さらにこうした活動や会社側の考えを、当社がサポートしている社内報においてはコンテンツにして社内に共有したり、映像で配信したり、サーベイの場にすることができるという意味においても、当社の主業でもあるブランディングという業務とスペースデザインの業務は関係の深い話しであるのです。

もっともこの取り組み自体はまったく新しい話しでもないので、これを機会に「平面的な施策×立体的な造形物」をそれぞれ個別に考えず、シームレスにつながっていることだと再認識し、コミュニケーションやブランディングのアプローチを社内でディスカッションしてみてはいかがでしょうか。

今後の新しい取り組みや、課題の発見があるかも知れませんね。