社長ブログ

2022/12/06

価値のある失敗!

価値のある失敗!

仕事をしていれば誰もが経験するのが失敗やミス。失敗と一言で表しても、種類もレベルも様々ありますが、失敗によって得られる教訓は数知れず、この数だけ自分を成長させてくれると言っても過言ではありません。
そして、失敗を許容し、何度も挑戦できるフィールドや会社、その会社が醸し出す社風は、それ以上に大事だと思います。

なぜなら、こうしたモノコトが無い限り、失敗も起きないからです。

正確には、失敗したという事実が表面化せず裏に隠され、それによって失敗をした本人そして組織にとって教訓にならないからです。組織の大小に関わらず、失敗できる機会は無くしてはなりません。

冒頭で失敗には多くの種類やレベルがあると言いましたが、してよい失敗(あえてして欲しい失敗、とも言い換え可)と、避けなければならない失敗、というのがあると思います。

先に後者のことを言えば、クライアントの社名や担当者名を間違えるや、ウソや隠し事に起因するコミュニケーションロスといったこと。そして売上・仕入・請求といった営業的な数字のミス、公序良俗に反することなどがこれに当たると思いますが、これらは社会の一員としての基本的な素養があれば避けられる失敗で、できればここで躓かないで欲しいと思う類と言えます。

そして前者について。これは、未経験の仕事への取り組みや新しいチャレンジに伴う失敗を指しますが、「あえてして欲しい失敗」はこれに尽きると思うのです。

no pain, no gainというのか、やらない後悔よりやって後悔(これはちょっと違うか・・)というのか、自らの意思で一歩を踏み出した結果の失敗や、自分にとって容易ではない選択をして格闘した結果の失敗などは、本当に意味があると思うのです。アインシュタインも「今までに失敗を経験したことない人がいるとすれば、それは新しいことに挑戦したことのない人だ」と逆説的に説いていますが、挑戦や自らと格闘した結果の失敗には価値があるということです。

しかしこれがなかなか言うは易しで・・・。人は、自らを容易な方や慣れている方に走らせる習性(ある意味安定志向と言うのか・・・?)があり、意識をしなければ新しいと挑戦をするのが困難だということ。

さらには、不寛容な社会と言われる通り、失敗が許されず再起が難しい日本の企業文化によるものなど、新しいことへの第一歩を躊躇しがちな空気感というのがあるという背景。そしてもう1つ、失敗をした本人の上長にあたる人の対応、反応という方が正しいかも知れませんが、これも大きなハードルだと言えるのではないでしょうか。

上長は、「本人以外で最初に失敗の事実を知らされる人物」、ですがその最初の反応によって活きる失敗と活きない失敗に大別されると言っても過言じゃないかなと思います。上長としてまずはすぐに失敗に対処する、失敗した事実を隠蔽しないのを前提とすれば、ここでのポイントは失敗の本質は何だったのか?を探ること。それは何によって引き起こされたのか?を理解することが肝要で、感情的に責めたり犯人捜しをするようだと、この失敗した本人は以後、失敗したくないシンドロームに陥り“失敗をしなくなって”しまうでしょう。

不遜な言い方をすると、日本全体を覆う閉塞感やよく言われる「失われたxx年」などは、全てここに通じるものがあるのでは?と感じます。
失敗する、イコール責められる・怒られる・犯人にされる・背負わされる、といった連鎖があれば失敗を隠したくなるのも、また人ですよね。

チャレンジによる失敗に鷹揚で、再起可能なアメリカや中国は、功罪あれども当然ながらイノベーションが続出し、企業や社会のダイナミズムが産まれやすく、結果として国力にもつながっているのはここで言うまでもないことです。

そんなレベルではなく私たちができることは限られていますが、一民間企業の経営者としては、自分にとって難しく新しい挑戦を従業員に促し、その結果の失敗を許容し、失敗の教訓から新しいモノコトを産み出せる、そんな社風でありたいという想いを忘れずに、会社の運営を心掛けたいものです。

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